自閉のドア

昨日、悪魔と戦い 負けました
強い誘惑です
戦績は3勝1028000敗くらいですかね
無論それはもう一つの自分です
自分は日々矛盾しながら分裂と統合を繰り返します
ですが悪魔と戦うようなダイナミックさを感じていたいという自分もいるかもしれません
活躍しているみたいでかっこいいと

マンションの下の階の人から苦情が来ましてすぐ謝りに行きました
本当は家族三人で行きたかったのですが自分一人で行きました
相手の目をみて事情を聞き頭を下げました
そうすると関係のない雑談に発展したりもします
関係はこれから良好になるでしょう
お互い様の住宅事情、いまのご老人からみればついていけない時代の変化、隣近所とのつきあいをさける方向に向かっている都市生活、独り身と家族、挨拶と礼、土地、地域に対する価値観の相違
まあ自分は専門用語を知らないのでザクッとこう書きましたが
苦情というのはつまり「私がここにいることを認めてほしい」ということだと思いました
自分は家族三人で謝罪に行くというよりは、家族三人で挨拶にいこうという気持ちであったのですがそれは嫁さんに断れらました

自分は物事の問題点が、これはこうすればうまくいく というのが一瞬でわかることが有り(顕微鏡で仕組みを見ている感覚)
自分が一瞬でわかる故に、それが伝わらないもどかしさというものがデフォルトになっているところがあります
自分は何がわからないかは分かっているので
自分が口ごもる時というのは「ちゃんと伝えようとすると一冊の本の内容くらいになってしまうのだがどう伝えようか、どのたとえ話で適切だろうか」と思案しているのですが
相手にはわからないから黙っている。と思われがちです
人類とか宇宙とかいって話を誤魔化している、と言われたこともありますが
自分が知覚している 顕微鏡で見ているような物事の仕組み、パターンの応用で
(万華鏡だってずっと見てれば単純な仕組みがあるはずです)
近隣住民も練馬区民も70億の人類も、大元のところではあてはまりますから
そんな急にスケール大きく語らないでくれ 極端だ
と言われることもありますが自分は自分で常に困っています。

相手が自分を信頼しているか 疑っているかでまた違います
構成する比喩のレベルがまったく違うので自分を信頼してくれる人にはとても楽に話せますが
疑っている人に説明をするのは
泥道でおんぶしながらその人が暴れている みたいな負荷がありますので
基本的には しるかよクソと 肥溜めに向かって投げてやります
なにかを疑うのはその人が決めた態度です
人の行動には傷やトラウマもあり致し方ないでしょうが、足があるなら使えるはずです

人は自分にとって当たり前のことは、それを言語にするという発想さえ浮かびづらいものです
「いやあ、こんにちは。今日も空気が透明ですねえ」という挨拶がないのは
空気が透明であることは前提であり、いちいち語る必要がないからでしょう
しかし自分のあるところの前提が、みな?の前提と違うため
存在をし一日社会生活を送るということに
強い負荷がかかり私は自分を守るために一旦逃亡しました
当時息子は保育園に通っておりました
そういう大事なときに父親である自分が、金を稼げなくなるということは男として屈辱でもありました
そして自分はいったい自分に何が起きているのかということを説明する言葉を持っていなかったのでその説明を医者に頼りました
抗うつ剤が欲しかったわけではないのです。

自分の特性について知り、うまく社会に還元、貢献することにつながればと思うが・・










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