浦安K工業所

十八の頃、自分は 浦安の飯場にいた
住込みの建築・土木作業員である
寮費と食費を抜いて確か日給六千円だったか
先輩たちの真似をして大人ぶりたかったか
後楽園の場外馬券売り場に通いスったりしていた
俺は第二の北島三郎になれたかも知れないという元演歌を目指した人に よくしてもらい
作業着や飯をご馳走になったりした
自分だけが飛び抜けて若く、四五十代が中心であったこともあり 割と可愛がられたのではないか
近場のスナックの常連客たちと鴨川の海に行ったり
当時、耳に安全ピンを指していたので 代わりにこれにしなさいと18金のピアスなどを女将さんにもらったりした
夏休みに近所の高校生がバイトに来たことがあり
給料がピンハネされていると相談を受けたので
半袖から入れ墨の見える手配師にかけあったりしたが
今思うと怖いもの知らずだなあ
共同部屋は十人くらいで一緒に利用するので
若い自分は日々の性欲の処理に困り
夜中に近所の公園などすませることがあったが
自分は手でモノを握るよりも床にこすりつけて精子を出すタイプであったので
誰かに見つからないかと心配したものだ
三階建の寮の屋上からはディズニーランドの花火が見え たまに一人で見た
飯場で買っている老犬が寿命で死ぬ時には看取った









コメント