承認欲求と愛

承認欲求、というと
何だが甘ったれた現代人のわがままさ、のような雰囲気を感じるが

私、愛されたい

というと、また別な気もする

例えば自分と嫁さんの間で繰り広げられている冷戦は
あるいは多くのセックレス夫婦たち
あるいはユダヤ教とキリスト教とイスラム教の対立でもよいが

根本的には
「私のことを認めて、愛して欲しい」
ということではないだろうか

戦争をする国と国同士でも
「お前が俺を愛してくれないなら俺はお前を愛さない」
と互いに言い合っているということだろう

シンプルなのだ


どれだけ軍事を拡大しても
投資しても
フォロワーが増えても
根は、そこにあるのではないかしら


他者を愛する能力とは
自己をどれだけ愛してきたかということに比例するように思う
そしてまだ自分もその能力を制御している
自分を愛することを
いいのかなあ もっと羽ばたいて
自分の恐れが自分を懐疑に走らせる

しかしあまり自分を愛するいうことが感覚としてわかりづらい
どうやってコップのなかにコップをいれるのかとか思ってしまう
自分を愛するという場合、
自分と愛が違うものでなければならない

俺は自分で自分を愛するのではなく
なるべくは他人に愛してほしいと思う








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